年末年始の休みに、ふと思い立ってヘミングウェイの『老人と海』を読んだ。
頭を使うのにちょっと疲れていて、五感をビンビンにして楽しむ読書がしたかった。
思えばヘミングウェイとは誕生日が同じで、電柱の陰からそっと覗き見るような縁を感じていた。けれど学生のとき『武器よさらば』を4ページであっけなく挫折して以来、再チャレンジのチャンスをひっそりうかがっていたのだ。
そして今回、あっという間に引き込まれた。
でも3分の2くらいまで読んだとき、妙な違和感がニュンと顔をもたげた。
あれ?水音とか、海鳥の声とか、全然しなくない?
そうだ、音がないんだ。
老人の枯れた肌やミュキっと力強い筋肉、魚が飛び跳ねる様子は、ものすごくリアルに浮かび上がってくる。
魚が船にガツンとぶつかる衝撃もするし、網で手が擦り切れるところなんかは「あ痛ててて」と手の平がムズムズしてくるほどだ。
なのに、音はぜんぜん聴こえない。
まるで音量をゼロにして映画を見ているような感覚。
大魚とのクライマックスシーンでも、体長5メートル以上もある魚が飛び跳ねているのに、本来なら聞こえるはずの「ざぶん」とか「シュルシュル」といった音の描写はなかったと思う。気付けば魚が宙に浮いていて、そのあとは銛を突き刺す感触。
文学に詳しくないので、ヘミングウェイやこういったジャンルの小説によくある文体なのかもしれない。
けれど、もしかして老人は耳が聞こえないのかもしれないという想像がふっと湧いた。
少年と話している様子はあるけれど、もしかしたら身振り手振りだったり、唇の動きゃ手話で会話しているのかもしれない。
海亀を獲る漁師は目を悪くしやすいという描写があったけれど、反して老人の視力はあまり衰えていないらしい。(月と星を殺さずに済んでよかった、っていうシーンもよかったなあ。)
老いても目には光があるとか、昔は夜目が利いたとか、目については何度か描写されていた。それって、裏を返せば耳は聞こえないということでは?というのは、ちょっとうがち過ぎかな。
一周しか読んでないので見落としはたくさんあると思うけど、勢いと五感で読むのって楽しい!頭を休めて感覚を開放する喜びっていうのかな。
最近読書がしんどいなーって人にもぜひ試してほしいなあ。
— 2日後追記 —
読み返したら、他の漁師の会話や船の音を聞いてました。笑
でも一度この目線で読んでみて!