他人の言葉で上書き保存するな

それでは、自分の「好き」を言語化するうえで、一番重要なことを伝えましょう。
ずばり、「他人の感想を見ないこと」です。

引用:「好き」を言語化する技術 推しの素晴らしさを語りたいのに「やばい!」しかでてこない | 三宅香帆

衝撃。お腹から頭のてっぺんまで、刀でズパヒュンと斬られた感じがした。
ああこれ、私がいっつもやってるやつやん・・・!!

すぐ他の人の感想を見に行ってしまう

映画を観ると、すぐさまネットを開いてレビューサイトや考察ブログを読み漁る。
そして、他人の感想をぐんぐん吸い込んでしまう。

例えば、「すごく良かったなあ」と感じたお芝居についてネガティブな意見を目にすると、あれ、やっぱりイマイチだったのかな?と思えてきたり。
そんなことを繰り返すうち、元々持っていた感想がじわじわ曖昧になってくる。

映画を観た直後に塗られていた色が、みるみるうちに滲んで、他人の言葉に侵食されて、上書きされていく。
自分の体験が他人にすり替わっていくような気持ち悪さ。

うん、自覚してた・・・してたんだけれど、ついついやってしまっていた。

やってしまう理由

原因として思い浮かんだのは3つ。

①本当は誰かとディスカッションしたいけど相手がいないから
②自分の言葉をつくるより、他人の言葉を使うほうが楽だから
③自分の感想に自信を持てないから

やってしまう理由① ディスカッション相手がいない

本当は、観た後にお茶でもしながら感想を言い合えるのが理想。

「私はこう思ったんだけど」
「あ、その解釈いいね!」

こんな風に、お互いに刺激を与えながら、作品の捉えなおしをするのが大好き。

けど、一緒に観た相手がそういうタイプでない場合も多い。
するとエネルギーの行き場を求めて、つい感想サイトに突っ走ってしまう。

それでも、自分の感想がしっかりあれば、他人からの影響はさほど受けにくいんだと思う。
問題は、自分の言葉ができあがる前に読んでしまうことだろう。

やってしまう理由② 他人の言葉に逃げてしまう

でも自分の言葉をつくるのって、けっこうハードルが高くないですか?

私の場合、わりと感覚タイプの人間なのに、言葉に対して執着が強いというか、妙に完璧主義なところがある。
だから満足のいく言葉ができないくらいなら・・・と、他人の感想を安易にインストールしてしまう。
で、実際にそう感じたような気になってくるという寸法。

う~ん、改めて考えると、これって怖いことだな。

やってしまう理由③ 感想を発信する自信がない

もともと自分の感覚に自信を持てないところがあった。
「私はこう感じたけれど、それって合ってるの?」という漠然とした不安。

極端に言うと、感想には正解・不正解があって、間違ったことを口にすればバカにされると思い込んでいた。

でもそれは、周りからの評価を気にし過ぎる性格が生んだ歪み。
誰がどんなことを感じたって自由じゃないか。

まあ、バカにしてくるような人は実際いるかもしれない。
否定されることは怖いけれど、それに負けて言葉をつくることを放棄したくない。
むしろ自分らしい言葉をつづることで、心置きなく話せる仲間がきっとできるはず。
そうであってくれ。

既存の言葉に身を任せるのか?

スマホでさくっと他人の感想を読めるのはとても便利。
だからこそ、強く意識していないとみるみるうちに他人の言葉に飲み込まれる。

それはイヤだ!自分の言葉で語りたい!

だから、本に書かれていた方法を使いながらさっそくこのブログを書いてみた。
その前にAmasonレビューをクリックしようとする手を、呪われた腕が暴れるアシタカのようにぐっと抑えつけながら。

あなたも文章を書いていて「なんだか自分らしくない」と感じることはありますか?