2025年ですね~。
今年はどこにも出かけず、家でゆっくり過ごしています。
夫が転職したおかげで、年末年始の休日が同じくらいの日数になりました。
これまでは元日を一人で過ごしていたので、一緒にのんびりお正月を迎えられてほのぼの嬉しいです。
お酒を飲んで、こたつでぬくぬくしながら、ふと結婚した頃のことを思い出していました。
私が結婚を意識した理由は、「この人の喪主になりたい」と感じたからです。
たとえばもし、彼が急な事故に遭い家族以外は面会謝絶になったとしたら、ただの「彼女」である私は病室に入ることができないかもしれない。
そのまま天に召されて葬儀をすることになれば、私はあくまで「参列者」という扱いになるわけで。
そうなると、葬儀のスタイルにもよるけれど、棺桶にお花を入れたり、焼き場に行ったり、お骨を拾ったりできないかもしれない・・。
そういう妄想をしたとたん、「あ、イヤやな」と感じたんです。
悲しいとか悔しいとかではなく、「それは絶対ない」という確信めいたものだった気がします。
「人任せにしたくたい!私が喪主になる!」
海賊王に俺はなる!みたいなノリで結婚を決めました。
両親が離婚したこともあって、もともと結婚願望はなかったんですよね。
好き合って一緒になっても、いつか気持ちは変わって、お互いの悪口を言い合うようになるかもしれないという不安がずっと心にありました。
でも、人の気持ちに形はないし、変わって当たり前なわけで。
その中で一つの指針になったのが、「この人の喪主になりたい」という気持ちでした。
元気に楽しく長生きして、いい人生だったねという言葉をかけて夫を見送る。
そのシーンを想像するだけですごく幸せな気持ちになります。
なお、私が先にいなくなると夫がへろへろになっちゃうと思うので、1日でも夫より長生きするのが目標です。
お正月から葬儀とかの話でびっくりさせちゃったかもですね。
人生は有限だからこそ、今年も元気にもっとギュンギュン動いていきます!