「嫌い」を封印しないで生きてみる

「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ!」というネットミーム、知ってますか?

昔は「そうね、できるだけポジティブなことに目を向けたいよね~」と共感してました。

でも最近、逆に「何が嫌いかで自分を語る」のもアリなんじゃない?と感じるんですよね。

悪口を言っちゃいけない、いいひとでいなきゃいけない、と思い込んでる人こそ、一度「嫌いなもの」にフォーカスしてみてほしいです。

ずっと「いいとこ探し」を頑張ってた

人の良いところを見つけるのはわりと得意です。

相手にイラっとしたときも、「まぁこの人なりに良いところもあるしなあ」とポジティブに考えるほうでした。

でも今思うと、「ポジティブの呪い」にかかってたんですよね。
「イヤだ」とか「嫌い」と思うことを避けすぎていたな…って。

なんで「嫌い」って言えなかったの?

理由は単純で、「みんなに好かれたい」「いい人でいたい」思いが強すぎたんです。
誰だって、自分を嫌いって言う人を好きになんてなれないでしょ?

だから人の良いところを見つけて、相手を好きだと思い込めば、み~んな私のことを好きになってくれるはずだって信じてたんです。そんなわけないのに。今振り返るとアホやなあって思う。

夫との生活で気づいた意外なこと

でもね、面白いことに気づいたんです。
夫とはもう15年以上の付き合いなんですけど、生い立ちや趣味がぜんぜん違うんですが、「嫌いなもの」がけっこう一致するんです。

例えば、
– テレビを見ていて「あーこの人ニガテなんよ。チャンネル変えよう」となるタイミングが一緒だったり。
– 漫画とかで、あんまり活躍しないのにやたら主人公の心配をして名前を連呼する系のヒロインとか。
– スーパーで野菜をべたべた触る人を見て「やめてくれえ」とモヤモヤしたりとか。

ちょっと最後のは最近あったイヤなことになっちゃいました。

何にせよ、二人とも趣味はけっこう違うのに、「これは無理」というポイントがけっこう一致するんですよね。おかげでストレスが少ないなーと感じます。

「嫌い」って実は大事なコミュニケーション

そう考えると、「嫌い」を共有するって、けっこう大切なんじゃないかなって。
相手の「ここまではOK、ここからはちょっと…」というラインを知るのって、関係性を深めるポイントな気がします。

まぁでも、気をつけないといけないこともあります。

誹謗中傷はダメ、絶対!

たとえば苦手な上司の文句を家族に話すとか、そういうのはオッケー。その人が耳にすることはないわけですし。信頼できる人とそういう話をするのはむしろ健全。

でも以前の私は、それさえも「悪いこと」だと思い込んでたんですよね。
だからブラック企業にいたときもほとんど愚痴を言えなかった。まさにポジティブの呪い。

ポイントは、「思う」「感じる」ことは自由ってこと!
人に言う・言わないは別にして、「嫌だ」という感情をぎゅっと抑え込まないでほしい。

最近の結論

「いいひと」でいなくちゃと思い過ぎてしんどい人ほど、試しに「嫌い」なものを探してほしいなって思います。だってそれも「私らしさ」の一部だから、安心してほしい。
何もやみくもにイヤなところを探せというわけじゃないからね。

自分の感情を生まれたそのまま見てあげてほしい。

「嫌い」は封印しないでOK!