私は、ときどき「死にたい」と呟いてしまうことがある。
でも、それは本当に命を絶ちたいわけじゃなくて、ただただ、恥ずかしすぎる気持ちが爆発した結果だったりする。
たとえば、知ったかぶりをして堂々と話していたのに、あとで間違いに気づいたとき。
そんな出来事を寝る前にふと思い出して、突然「うわあああ」と叫びたくなるような瞬間。
そういうとき、思わず「死にたい~!」と言ってしまう。
「死にたい」と言うことへの罪悪感
私はこの言葉を口にすることに罪悪感を感じていた。
理由は、昔から言霊を大切にする感覚があって、もし口にしたことが現実になったらどうしよう?と不安になるから。
めっちゃくちゃムカつく人がいて、思わず心の中で「死ねええ!」と言ってしまったときも、すぐに「ウソウソ、今のなし」と心の中で打ち消してしまう。
「死にたい」と呟いたときも同じで、すぐに「今のなし!」と心の中で訂正するクセがついている。まるで一種の呪文みたい。
これ自体は別に悪いことじゃないし、むしろ可愛いな~とさえ思う。
その奥にある気持ち
でもね、大事なのは、なぜその言葉が出てきたのか?ということ。
「死にたい」は、水面からひょっこり顔を出した潜水艦の望遠鏡のようなもの。
その奥には、もともとどんな気持ちがあったんだろう?
恥ずかしかった?
悔しかった?
自分が嫌になった?
「今のなし」は、なかったことにする呪文。
唱えることで、そのときに感じた感情までなかったことにしてしまう気がする。
だからその前に一度、せっかく湧いてきた自分の感情をそっと見つめてあげたい。
本当に命を絶ちたいわけじゃなくても、こうやって「死にたい」と表現してしまうのは、それだけ感情が揺さぶられた証拠だと思うから。
感情は、心に湧き上がった瞬間には、綺麗も汚いもない。
こんなことを感じちゃダメと決めつけているのは、自分の思い込みや世間の枠組みだったりするんよね。
ただ、そこにあるということを認めてあげればいいんじゃないかな。これもセルフラブ。