今CMを見て知ったけど、映画『エマニュエル』が公開されたらしい。
やっぱり、かつての『エマニエル夫人』のリメイク版なのね。
『エマニエル夫人』と聞くと、胸のあたりを甘く柔らかいスポンジケーキみたいなものでふんわり包まれたような、懐かしい感覚になる。
ちゃんと観たことなんてないのに。
いや違う。正しく言うと、観ようとして諦めたことがあったのだ。
中学生の頃の私は、性への関心が一つのピークを迎えていた。
とは言え男子と付き合ったことすらなかったので、完全に頭でっかちのムッツリすけべである。
親に内緒でこっそり大人向け雑誌を買ったり、家にある漫画のえっちシーンを端から記憶して繰り返し読んだりしていた。とにかく情報に飢えていた。
私が一番求めていたのは、今で言う、えろ動画だ。
でも当時は、ネットで簡単に動画を見れる時代ではなかった。
そんなとき、新聞の番組表にふと目が吸い寄せられ、背景にビビッとベタフラが走った。
『エマニエル夫人』が載っていた。
すでに「えっちな映画」であるという知識はあったので、めちゃくちゃドキドキした。
見たい。
放送時間は深夜。
テレビはリビングに一台。
これはもう、家族が寝静まってからこっそり見るしかない。
そう腹を決めて実践した。
上手くいった。
けれど人目を忍びたいときに、テレビの光はあまりにも明るい。
そして二部屋隣に家族が寝ているというスリルに、私の不純でピュアなメンタルが耐え切れなかった。
早々にリタイアして布団に戻った。
えっちなシーンは見れなかった。
その無念さと、深夜に一人で家族に言えない映画を観るというドキドキ感と罪悪感が、泡だて器でぐちゃぐちゃにかき混ぜられた気がした。
今はもう、誰はばかることなく観れる年齢になったけれど。
じゃあ観たいか?と言われると、分からない。
あのとき諦めたものを取り戻したい気持ちもある。
けれど、サブスクを開き、ピッとボタン一つで再生するのは、何だか違う気がするのだ。
目に焼き付いた新聞の番組表と、ブラウン管テレビの光と、あのときの興奮とともに、もう少し寝かせて熟成してみたいと思っている。