クレープの紙を剥がすとき、私はいつも一瞬ためらう。いいのだろうか、と。
なぜなら、クレープの皮は人肌そっくりだから。
ほんのり温かくて、しっとりしていて、触れる指先がそっと吸い込まれるような感触。
まるで服を脱がせているような気分になって、ついドキドキしてしまうのだ。
そして皮の向こうには秘密が隠されている。
甘いのか、酸っぱいのか、それとも苦いのか。まだ誰も知らない。
(自分で注文したのだから知っているだろうという物言いは受け付けない)
さあ、いいじゃないか。もっと君の奥深くまで見せておくれ。
私はそっと、指先でなぞるーーー
そうやって官能小説の主人公モードになっている私の目の前では、親子連れがキッチンカーに並んでいた。
休日の昼下がり、風は冷たいけれど日差しはぽかぽか暖かい。
芝生の向こうからは、大学生グループのアカペラが弾むように聴こえてくる。
ああ、自治体のホームページにでも掲載されていそうな眺めだ。
その片隅。私の脳内ではピンクと紫のムーディーな空気が充満し、いかがわしい小芝居が展開されているのだった。
ふと気が付くと、先ほどの親子連れがクレープを受け取っていた。
黄色いジャンパーを着た5歳くらいの男の子が、目玉焼きのような笑顔を浮かべている。
お母さんはしゃがんで、二人仲良く頬張っている。
その様子を見て、心に柔らかくやすりをかけられた感覚になった。
もし私がクレープなら、あの子に食べてもらいたかった。
こんなヨコシマな女に買われてしまってごめんよという気持ちが、こんこんと湧いてくる。(とは言え、美味しくいただいた)
うん。あの子も大きくなれば、こんな妄想を繰り広げるのだろうか。
ご覧の通り、私は思春期と手をつないだまま大人になってしまった。
みかんを剝くときでさえ、正直ドキドキしてしまうような人間だ。
でも、それを恥ずかしいとは思わない。
感受性と五感は、一生ビンビンでいたい。
明日はもっと寒くなるらしい。
ひとときの木漏れ日の中、私の感性はまた一つクレープに調教されるのだった。